2016年9月5日月曜日

百谷集落と観音堂




百谷集落。鳥取市百谷。

撮影 2016,9,1 日。

市バス百谷線-百谷公民館。 








ひたすら集落東奥へ。 


堰堤。










さらに奥へ。
滝の上川-滝の上橋。


獣除けの鉄柵があるが、通行は自由だ。 
が、先には何もなさそうなので引き返す。







観音堂。 











今は伽藍堂(空き家)となっている。
60㎝の観音像は二年ばかり前から公民館に安置されている。 



















室町時代の公家で百谷に住み文明六(1478)年頃から
京と百谷を行き来しながら、
法美郡領の経営をした柳原量光卿の墓がある。
  




柳原量光(かずみつ)卿碑文。


 権中納言柳原量光卿 1448~1510

文安五年 1448 権大納言資綱の子として生まれる
享徳三年1454 従五位下に叙位
文明元年 1469 蔵人頭に補任
文明三年 1471 文章博士を兼任
文明七年 1475 参議に任官
文明九年 1477従三位に叙位権中納言に任官
文明十六年 1486 七月 右衛門督を兼務し検非違使別当となる
 同年八月 権中納言右衛門督 検非違使別当を辞任
このころ妻と子(資緒)と共に因幡国に下向
明応四年 1495 資定 百谷で誕生
永正五年 1508 量光の妻死去
永正七年 1510 量光上洛
 同年八月一八日 量光死去 六十三才



さらに山奥に在った墓石五輪塔は平成二十年(2008)年、
県.市立ち合いで此処へ移された。

柳原氏末裔二十代目は当地百谷に健在である。










  

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