2018年9月19日水曜日

長戸呂不動明王 用瀬町往来

長戸呂不動明王。東光寺奥之院。鳥取市用瀬町下屋住。

撮影 2018,6,21日。

県道118号線。長戸呂橋東。






長戸呂橋西詰。 



長戸呂不動明王参道。 








籠堂の縁起書を見れば草創は弘仁二年(811)頃と察するが、、。



籠堂掲示の不動明王縁起書。



「御室派御所総本山 仁和寺
金剛憧院 東光寺奥之院
 長戸呂不動明王御縁起

我々たる峻嶺高く峙の渓谷深く巌を穿つ樹林鬱蒼
清流渭々として霊気鐘る処遥かに仰げば
霊験いよいよ光増す長戸呂不動明王
千古変わることなく鎮座なし給う
謹んで惟みるに当御本尊は今を去る千百有余年の昔
嵯峨天皇の御代弘仁二年(811)弘法大師
空海上人の刻み賜うものなり
此れより前大師真言密教求法の為唐の国に渡られ
正当密教第七祖恵果阿闍梨より
南部の大法を授かり御帰朝の途次
東支那海に於いて廔々漂蕩に遇われ
一つの誓願を発すせらる
即ち無事帰朝の日には必ず諸支威光を
増益し国界を擁護し衆生を利済せんが為
禅院を建立し法に依って修行せん
願わくは善神護念し早く本岸に達し玉えと
依り而無魔御帰国を果たされるや先ず是れが
誓約を遂げんが為の禅院建立の地を求めんがために
諸国を行脚され弘仁二年此処中国山脈の山嶺の大地を
選ばれんとして錫を留めらる
更に〇しく地形探索のため鬼門に当たる北東方の谷に
歩を進めらるや一老杣人在り大師この地名を問わるに
杣人答えて曰くなかつみの谷なりと
大師〇んぜらるに鬼門の当たる方角に不吉なる
名称の谷あるは根本道場決定の地に相ふさわしからずと
断念せられ庶衆末代の諸々の災難困窮を除かんがため
厄除け不動明王を絶壁の霊巌に刻まれ
開眼の護摩を修法され再び新たなる地
探索の旅を続けられ遂に高野の山を御発見
現在の金剛峯寺一山盛況を見るに至れり
若し「みかつみ」の文字無かりせば真言密教の
根本道場或いはこの地に興起し百千の伽藍櫛批し
大師の御恩徳に浴せんとするもの
山上山下を埋め御信の燈明明々として絶えず
祈願の香煙絏なとして尽きざるものをと
代々語り伝えて今日に至るものなり
大師の霊刻されし除災招福の不動明王は
千百余年の春秋を経ると雖ども霊徳倍々新たかにして
庶民の厚き信仰を聚めるものなり
後世の者努力疑うことなく信仰の念いよいよ
深められんことを庶〇うものなり
      昭和四十八年
東光寺金剛憧院二十三世
         権大僧正宥憲 謹記」

文中〇印は識別不能文字






























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